She hates his glasses.



 私は眼鏡が嫌いだ。
 世の中には眼鏡をファッションの一部としてもてはやす人もいるけど、私にとってはありえない考え方だ。眼鏡なんてただの視力補正用具だ。似合う似合わないはあるし、それが容姿に影響するのは事実だけど、あくまであれは利便性を求めて作られた道具のはずだ。目も悪くないのにファッションとして伊達眼鏡をかけたりする輩の気が知れない。
 別に存在を否定しているわけではない。視力の低下に伴い仕方なく着用している人のことまで否定するつもりはない。というか、眼鏡って本来そういうものだし。それは仕方がない。まさか全員コンタクトにするわけにもいかないだろう。着けたことはないけど、ずれたら痛そうだ。
 でも、そういう事情を認めたうえで、私は眼鏡を嫌う。
 嫌うにはわけがある。
 私の1個上の先輩が眼鏡をかけているのだ。
 その先輩ときたら、頭がよくてルックスもそこそこ整っているくせに性格最悪で、私はいつも振り回されている。
 具体的には先輩権限を振りかざして変な仕事を押し付けてくる。休みの日まで学校に呼び出されたり、変なコスプレをさせられたり。おかしい内容でも、聞けばそれ相応のもっともらしい理由を並べてくるから反論もできない。
 上司の嫌がらせに耐える平社員って、きっとこんな感じなんだろうなあと、私はため息をつく毎日だ。
 坊主憎けりゃ袈裟まで憎い。元来眼鏡に特別な感情なんて抱いていなかったのに、あの先輩の眼鏡ルックのせいで、私は眼鏡嫌いに宗旨変えすることになってしまったのだ。
 どうして生徒会に入ることになってしまったんだろう。詮無きことではあるのだけど、私は自分の不運を呪わずにはいられなかった。



 5月の学校総会終了後、校内で選挙が行われて、役員もそれに合わせて代変わりした。その際、なぜか入学間もない新入生の私が役員の一人に選ばれたのだ。クラスの推薦で候補にはなっていたけど、それは1・2年の全クラスから必ず男女1人ずつ選ばれるもので、いわば義務なのだ。誰かが押し付けられるだけの決して特別とはいえない候補であって(その押し付けられた間抜けが私だ)、その人数も普通科・理数科・商業科・情報学科を合わせた全80クラスから選ばれる160人に上るから、確率的には役員に選ばれる可能性は低いはずだった。役員のほとんどは2年生から選出されて、1年生は毎年2人くらいしか選ばれないと聞いていたし。
 でも可能性は、どんなに低くても0ではなかったのだ。
 不幸の星の下にいるのか、私はその少ない少ない2枠に選ばれてしまい、1年間生徒会役員として活動をすることになってしまった。
 なってしまったものは仕方がないので、私はこれを内申点稼ぎと割り切ることにした。もちろん仕事はきっちりするつもりだ。1年生とはいえ、5000人近い生徒をまとめる生徒会の仕事は軽いものではないはずだから、言われたこと、任されたことは精一杯がんばるつもりだった。わからないことだらけなのは仕方がないにしても、自分の手抜きのせいで誰かに迷惑をかけることだけはしたくなかった。手の抜き方もよくわからないし。
 先輩たちはみんな優しくていい人ばかりだった。和気藹々とした雰囲気で、後輩の私も自然と溶け込めそうな様子だ。内申稼ぎと割り切ってはいてもそれなりに不安はあったので、私はそのことに安堵した。役員に選ばれるほどの人たちだから、やっぱり人間のできた人が多いのだろう。私は押し付けられただけだから除外するとして。
 しかし、私が安心したのもつかの間、数日後。
「今日から俺が担当につくことになったから」
 帰りがけにそんなことを言ってきたのは、2年の鳥羽先輩だった。
 背が高くてすらりと手足の長い綺麗な容姿だったから、その人のことはすぐに覚えた。眼鏡をかていて、口調も丁寧というか落ち着きがあるせいか、ちょっと知的な雰囲気を持っている先輩だ。顔立ちもそれなりに整っていて、周りからの信頼も厚いと聞く。
 この鳥羽先輩、なんと理数科1組に在籍しているという。理数科は進学率ほぼ100%の学科で、それはそれは優秀な成績を修めた者ばかりが集う優等生学科だ。その中でも特に成績上位者が1組に集められるため、1組の生徒は他の生徒から一目も二目も置かれている。いわれてみればたしかに鳥羽先輩はいかにもそれっぽい。
 鳥羽先輩は戸惑う私にかまわず続けた。
「後輩の指導も上級生の仕事だから、俺が担当になったの。舞原さんは今後俺と一緒に仕事をやってもらうからよろしく」
 私ははあ、と気の抜けた声でうなずいた。
 教えてくれるというならそれは願ってもないことだ。
 ただ、どうして鳥羽先輩が?
「俺は仕事少ないからね」
 ……この人、あまり真面目ではないのだろうか。
 私は少しだけこの先輩を胡散臭く思った。
「そうだな、率直に言って俺は生真面目ではないよ」
 どきりとした。読まれた?
「舞原さんって、嘘つくの苦手でしょ」
 私は口を開かない。
 でも、気持ちの針が一気に一方向に振れるのを自覚した。
 この先輩は、苦手だ。
「苦手でも俺の下についてもらうのは確定だから。そういうわけでよろしくね」
 こちらの返事も聞かないまま、先輩はきびすを返してその場をあとにする。
 その後ろ姿はやっぱりすらりと伸びていて、しかし弱々しいという感じは一切与えないしなやかさがあった。あの人はスポーツも得意な気がする。
 だからなんだと言いたくなった。
 だんだん腹が立ってきた。
 鳥羽先輩の目を思い出したのだ。
 眼鏡が邪魔してはっきりとはわからなかったけど、あの人は私をすごく下の立場に見ていた。先輩後輩なんてものじゃなく、なんというか、王様と家来みたいな。
 というか、さりげなく言ってたし。
「……俺の下って何よ」
 わけわかんない。私はむかむかする思いを吐き出すように盛大にため息をついた。



 鳥羽先輩は私が考えていたよりもはるかにわけわかんない人だった。
「あ、舞原さん。鳥羽くんもう来てるよー」
「舞原さん、鳥羽くんにたまには休めって言っといて」
「鳥羽くんにとっては休むよりも舞原さんと二人きりになる方が重要なんじゃないの」
「おうおう、組織内恋愛もほどほどにしてほしいねえ。目に毒ですわ」
「それじゃあね、舞原さん。今日はあんまり仕事ないから、チャンスだよ」
 それはピンチです。チャンスではありません。
 下手な中学英語みたいなつっこみを心の中で入れつつ、他の役員の人たちを笑顔で見送る。私と鳥羽先輩との関係が大変誤解されているのだけど、もう否定する気力は失せていた。気を取り直して、私は生徒会室のドアの前に立つ。
 鳥羽先輩が中にいるのだろう。人の気配がする。そして他の人たちが帰ったということは、先輩一人ということだ。この状況、この1ヶ月ほどで何度目だろうか。もちろん偶然ではなく、先輩がいろいろ手回しをしているのだ。
「失礼しまーす……」
 気持ち、小声になってしまう。
 鳥羽先輩はパイプ椅子に腰掛けて、ペットボトル入りのお茶を飲んでいた。
「遅刻しなかったね。えらいえらい」
 からかい混じりの言葉に、私はつい反論してしまう。
「先輩に押し付けられるバカな仕事はもうしたくありませんから」
「バカな仕事ねえ」
 指定する時間に遅れたら、先輩から罰ゲーム的な仕事を与えられるのだ。それはどう考えても生徒会の業務とは関係ない、どうでもいい種類のものがほとんどだ。コスプレで校内の見回りをさせられたり、買出しにいくのにわざわざ隣町まで行かされたり。休日に先輩のお供をさせられるというのもあった。もちろん浮ついた話ではなく、山奥の農家に足を運んで畑仕事を手伝わされた。先輩曰く、手伝う代わりに日持ちする野菜を提供してもらい、それによって夏の合宿の食費を少しでも減らそうという話だった。生徒会に夏合宿とかあるのか。
「ちゃんと必要な業務なんだけどね」
「コスプレのどこに必要性があるんですか」
「制服姿で見回りをしても、目立たないからね。かわいいメイド服姿の女の子が校内を見回った方が効果的なんだよ」
 そんなわけあるか。
「買出しだって、学校のすぐ近くにお店があるんだから、そっちで買えばいいじゃないですか」
「あれは校外の見回りもかねているから」
「それって生徒会の仕事なんですか? 先生たちに任せれば済むのに」
「生徒会が自治をすることで、教師はめんどくさい仕事をせずに済む。生徒会の評価も上がるし、ついでに予算を上げてもらうための材料が増えるからね」
 本気で言ってるのかこの人。
「じゃあ……畑仕事は? いくら食費を浮かすためって言っても、みんなでお金を出し合えばそれくらい……」
「それはおまけみたいなものだ。本当は学園祭の展示に使うのが目的」
「展示?」
「舞原さんにあとで提出してもらったレポートがあったでしょ」
 あった。ボランティアの仕事内容を原稿用紙10枚以内にまとめて、感想と自分なりの問題点も添えて提出するやつ。
「あの農作業体験レポートを俺がさらにまとめ上げ、パネル展示を行う。生徒会は毎年恒例の演劇以外に展示物も出さなければならないんだ。でも正直素人演劇で手一杯だから、展示の方はさっさと仕上げたいんだよ。舞原さんが泥まみれになったり尻餅をついたりした失敗シーンもちゃんと写真に撮っているから、例年よりおもしろおかしい体験レポートになると思うんだよね」
「おい」
 思わず荒っぽい声を上げてしまったけど、かまうものか。そんなの全然聞かされていない!
「言ってないからね」
「言えよ!」
「怒った舞原さんもかわいいなあ」
 黙れ眼鏡。
 口では全然かなう気がしない。こんなやつに口で勝ってしまうのは人としてまずいと思うけど。
「そんなことより早く座りなさい。今日も仕事は残してあるから」
 私は怒りを静めて、のろのろと席に着いた。
 渡されたのは1年生の校内アンケート用紙の束。大体100枚くらいある。一年生だけで生徒数1600人を数えるから、これは全体の一部に過ぎない。他の1500枚はもう昨日までにチェックを済ませているので、これは残りの分だ。これが終わればたぶん今日はもう帰っていいのだろう。さっさと帰りたい。
「アンケートの計上だけなら指導も必要ありませんから、先輩は先に帰っていいですよ」
 そんなことを言ってみる。我ながら慇懃無礼な物言いだ。
「かわいい後輩を一人ぼっちにはしておけないからそれはだめ」
「いいから黙って帰りやがってください」
 声に険がこもるのは仕方がないと思う。
 鳥羽先輩はボトルのふたを閉めると、背もたれに体を預けて椅子を前後に揺らし始めた。
「それよりさっさと終わらせてどこかに行かない? バッティングセンターとか」
 また変なこと言い出した。まったく、何がさっさと終わらせて、だ。わざと仕事を残しておいたくせに。
 私は無視して作業に集中する。用紙の束をめくりながら、手早く正の字をノートに記していく。単純な作業だからこんなものに指導も何もないと思うんだけど、鳥羽先輩は仕事をいろいろ見つけては私の前に持ってくる。イベントの企画運営やそれに伴う役割分担、スケジュールの管理といった仕事は他の先輩たちがやってくれるから、私のような下っ端1年生はこういう簡単だけど手間がかかる仕事をやらされるのだ。それでも仕事は仕事だし、任された以上はしっかりやらないといけないと思う。見落としのないようにチェックは2度3度繰り返す。うん、大丈夫。今のところミスはない。
「舞原さんのそういう真面目なところが、俺は気に入っているんだよね」
 不真面目の塊が何か言っている。無視しようかと思ったけど、思い直して私は顔を上げた。
「先輩、そういう軽口を先輩が誰もいないところで一人さびしく不良蓄音機のようにつぶやきつづけるというのなら私は何も言いません。勝手にガラクタ自動botにでもなっていてください。でも他の人たちにそういう誤解を招くことを言いふらすのだけは我慢なりません。事実と異なる虚言を悪意でもって吹聴するのは鉄クズ以下です大型不燃物です環境破壊に匹敵する愚行です今すぐやめてください」
 だんだん力が入って早口になってしまったけど、言いたいことはきっちり言えた。
 そう、仕事を任されるのは正直言って苦ではない。
 苦痛なのは、この先輩が周りに誤解を招く発言を繰り返すことなのだ。
 私にメイドコスプレをさせたときは『舞原さんはこれから俺専属のメイドだから手出し禁止ね』とか言い出して周りをぎょっとさせたし、指導と称して二人きりの時間を作るところをわざと周りに見せているし、その上『舞原さん、恥ずかしがらないでもっといつもみたいに素直になってよ』とか、みんなの前でさも二人はなにかありますよという風にでたらめなことをほざくし、真剣にこの口を極細ワイヤーで縫い付けたい。(むきになって否定するとますます邪推されてどつぼにはまるので、最近は受け流すことにしている)
「舞原さんの毒舌って日に日に威力増してるよね。今のなんかすごいなあ。蓄音機だって。戦前?」
「とにかく」私は鳥羽先輩の目をにらみつけて言った。「本当に、真剣に、やめてください。こっちは迷惑してるんです」
「誤解された方が俺としては好都合なんだけどね」
 どういう意味だ。私はますます眼力を強くする。目の奥に隠れている本音を探りたいのに、眼鏡が邪魔してうまく読み取れない。
 鳥羽先輩は椅子から立ち上がると、机を回り込んで私の背後に立った。なんだか嫌な予感がして振り返ろうとしたが、両肩を押さえつけられて動きを止められた。
「最初に言っただろ。舞原さんは俺の下についてもらうって」
「……それが何か?」
 先輩は意外と力があるようで、肩に置かれた手を容易には払いのけられなかった。私はしぶしぶ抵抗をやめる。なんだか落ち着かない。
「俺さ、自分専用の秘書がほしかったんだよね。できれば後輩で、負けん気の強い、責任感のある真面目な子。容姿もよければいうことなし。で、それに合致したのが舞原さんだったんだ」
「……それ、どういう意味ですか?」
 少し、引っかかった。
 言葉の意味がわからなかったわけじゃない。私もそれなりにまともな言語能力は備えている。
 ただ今の言葉には、何か重要な意味が裏に潜んでいる気がしたのだ。
 いや、気がしたというか、その、
「察しがいいね。そういうことだよ」
「…………」
 どうして私が生徒会役員に選ばれたのか不思議だった。
 なってしまったものは仕方がないので、運が悪かったのだろうと割り切っていたのだけど――
「まさか」
「そう、160人の候補の中から俺が君を推薦したんだ。根回し大変だったよ。でも地道なロビー活動のおかげで君を引き入れることに成功したし、その活動を通じて俺が君に執着していることを周りにも健全な方向で認知させたから、すんなりと君の上司になることができた。やー、努力は報われるものだね」
「その労力もっと別のことに生かせこのバカ眼鏡!」
 この真後ろにいる男をおもいっきりぶん殴りたい。鋭角的に、ぐーで。
「ていうか本当にバカか? バカなのか!? なんでそんなことする必要がある!?」
「だから君を秘書にしたいと思ったから」
「そんな理由あるか変態!」
 じゃあこんなところにいないで彼女でも作ってさっさとそういうプレイに興じるか、起業して秘書を抱える身分にでもなればいいだろう。ついでに退学して私の前から消え去ってくれたならもう言うことはない。
「本気だよ」
 耳元でささやかれた。
 ぞくっとした。
「今はしないけど、そのうち起業するから、そのときは舞原さんを本当に俺の専属にしたい」
「……なんで私なんですか」
「条件に合致したこともあるけど、君を見たときにビビッときたんだ。ああ、この子だって思った」
 理論派のように見えて、妙なところで感覚派だった。
「なんていうか、この子は絶対俺についてきてくれる、って思ったんだよね」
「いや、だから私は嫌ですって、」
「君は目の前の困難から逃げない人だから」
 目を見開いた。
「仕事はきっちりこなすし、失敗してもへこたれない、責任感のある人だよ、舞原さんは。そう思ったから俺は君をなんとしても手に入れたかったんだ」
 そんなこと、初めて言われた。
 私は別にそんな立派な人間じゃない。面倒なことは引き受けたくないし、宿題だってたまに忘れる。
 投げ出さないのは、悔しいからだ。
 逃げるのが好きじゃないだけだ。だから、鳥羽先輩に振り回されてもやめないでいる。
 仕方ないじゃない。そういう性格なんだから。
「でもさ」
 耳元で、先輩の声が風鈴の音色のように凛と響く。
「そういうところ、俺は素敵だと思うよ」
 いつの間にか腕の力は緩まっていた。自由になった体を翻して、後ろを振り向く。

「それにね――」

 唇に柔らかい感触が広がった。
 先輩の顔がすぐ目の前にある。
 びっくりして身を引くと、先輩はおかしそうに笑って、言った。

「こういう不意打ちをしてからかうと、最高におもしろい」
「なにしやがるのよあんたは!!!!」

 唇奪われた。
 別にファーストキスに幻想なんて抱いていなかったけど。
 そうだよ初めてだよ悪いか! 悪いな! お前が!
 私は立ち上がっておもいっきり拳を振りぬいた。その眼鏡を叩き割ってやろうと本気で殴りかかったけど、先輩にひょいとよけられてしまう。
 その眼鏡の奥に見える目は、楽しそうに笑っている。
 だけどその色は、その奥にあるはずの本当の心は、私には到底見通せない。
 ああ、本当に邪魔なレンズだ。
「ほら、早く仕事を終わらせて、バッティングセンターで一緒にストレス解消しようよ」
「じゃあ一発殴らせろ!」



 私は眼鏡が嫌いだ。
 こっちは相手の本心が知りたいのに、眼鏡はそれを隠してしまうから。
 眼鏡なんて、大嫌いだ。


作者情報


作:かおるさとー様
The scent of sugar.
2013/06/07